​原点のはなし

「​白い煮物が食べたい」~祖母との思い出・私の原点の話~

 WHY ME?

 なぜ、私がその仕事・事業をやるのか?

 その質問にこの数週間ずーーーっと考えていました。

 いっぱい、理由がありすぎて。

 当事者だから、とか、

 患者だから、とか。

 小さいころから料理をしていたから、料理が少し人より得意だったというだけで、特段ずば抜けて美味しいものが作れるわけでもないし、すっごい映える料理が作れるわけでもない。「冷蔵庫にあるもので、誰でも簡単に作れるレシピです!」なんて言ってるけど、私はお菓子類は作れないし、普通のどこにでもある平凡な、ありふれたお惣菜しか作らないし、そもそも作れない。

料理自体がすっごい好きなのか?と聞かれると、作るより食べる方が好き。

 「じゃあなんで、料理を仕事にしようと思ったの?」

 「なんで、あなたはその仕事をしているの?」

 って問われたら、なんでだろう?

 何が私をここまでの衝動で突き動かしてるんだろう?と考えていた時に、ふと、数年前に書いた「請求書のウラ書き」のことを思い出しました。今でこそ、お客様に請求書はPDFでデーター送信して終わりなんですが、数年前まで、印刷して切手貼って郵送して送っていました。「請求書って、開封率100%だよなぁ、すごいよなぁ」と思ったのと、「どうせ紙使うのに裏側が白いのは紙代もったいないなぁ」と思ったのがきっかけで、請求書のウラに、私が仕事を始めることになったきっかけや、仕事をやるうえで大切にしていることなどを書くようになりました。

▼2018年の9月に書いたもの。

20180922 請求書のウラ書き #1

「白い煮物が食べたい」忘れぬ想い出の味

 

 

 私が中学生になる頃、祖母の物忘れが多くなり始め、我が家から徒歩五分のところに引っ越してきた。母が仕事でいない時、祖母はテクテク歩いて家にきて、洗濯物を畳んだり、夕飯を作ったり、いつでも祖母と一緒にやった。一人でする家事は嫌だったけど、祖母の台所 のコツや技を聞きながらする家事は楽しかった。この頃から祖母とウチの2家族分の夕飯を作って、届けるのが私の役目になった。

 

 

 祖母は歯がほとんどないのに、入れ歯があわなかったから、歯茎でつぶせるものしか食べられない。 いつも粥や柔らかく炊いたものを食べることが多かった。とろとろに柔らかくいた鶏肉とかポタージュとか、人参もじゃがいももほろほろっと崩れちゃうくらい煮込んだシチューとか、 肉じゃがでも大根でも祖母の家の分は、煮崩れる手前の柔らかーーーく炊いたものを作って持っていく。

 

 

 「なみちゃんは入らかなものが作れてすごいねぇ」と褒めてくれ、美味しそうに食べていた。とうとう、祖母は物忘れがひどくなりすぎて、迷子になることが増えた。私と母の顔以外わからなくなった。祖母は入院することになった。その頃には私はもう、大人になっていて、就職し、車も持っていたから、仕事帰りに毎日寄った。私が顔を出すと、祖母はいそいそと帰り支度を始める。

 

 

 な み ち ゃ ん 、 お 家 に 帰 ろ う 。

 ば あ ち ゃ ん 、 洗 濯 物 取 り 込 ん で な い と よ 。

 

 

 何回も何回も祖母は言う。何度も何度も、連れて帰りたくて私は胸が痛くなる。ばあちゃんがここに居たくないって、痛いほどわかるよ。私も入院してたとき、早く帰りたくて、1秒でも早く病院から抜け出したかったから。でも連れて帰ることもできないんだよ。私は祖母にかける言葉がみつからなくて、曖昧に笑うことしかできなかった。

 

 

 ある日、祖母が私にに言った。お家に帰ろう、ではなく、帰り支度を始めるわけでもなく、小さな声で「なみちゃんの白い煮物が食べたい」と。白い煮物?イカの煮物?そんな弾力のあるもんばあちゃん食べれんし…。カブの煮物や大根の煮物を持って行ったが、どううも違うらしい。

 

 

 ふと、もしかしてと思って煮崩れるまで柔らかく煮こんだ、いつものシチューを持って行くと、祖母の顔がぱぁっと嬉しそうに輝いた。

 

 

「なみちゃんは、ハイカラなものが作れてすごいねぇ」

 

 

 見た目の良くないシチューを目の前に。いつか褒めてくれた言葉を、覚えて居たのか、思わず出たのかわからないけれど。あの時と同じように私に言った。

 

 

 それから毎日、私はシチューを届けた。祖母は、ずっとシチューのことを「なみちゃんの白い煮物」と呼んだ。食べたことを忘れるから、白い煮物のリクエストは繰り返される。二人分のシチューを持って会社に出かけ、仕事が終わると病室で一緒に食べながら、会社や家族との他愛もない話をする。この時は忘れられるとわかっていても。

 

 病院で出された食事にほとんど手をつけてなくて、ばあちゃん食欲がないんだなぁって日が続いた。配膳されたお粥にシチューを加え、バターを乗っけて給湯室のレンジで加熱してミルク粥みたいにしたら食べてくれた。夕飯がシチューだった日の翌朝、ミルク粥にして食べるのを楽しみにしてたことを知ってたから。

 

 

 料理は愛情、なんて胃もたれしそうなこと思わない。栄養素だけで頭で食べてもつまんない。それでも料理は、記憶の奥の奥の深いところに残っていて人に生きる希望を与える不思議なものだ。何もかも忘れ行く祖母の記憶の中で、消えることのなかった白い煮物の味。失われることのない味覚の想い出の味。食の細くなってしまった祖母に少しでも元気になってほしくって、笑って欲しくってたくさんの野菜を細かく刻んでとろとろになるまで煮込んだスープ。祖母が間際まで口に運んでくれたもの。

 

 食べ物は明日の未来を創るもの。すべては「おいしい!」の笑顔のために。

 

 これが私の料理の仕事の原点の話。

 料理が好きだから、料理研究家になったんじゃなかった。

 料理で幸せそうな顔になる相手を見るのが好きで料理を仕事にしたいと思ったんだ。

​ 自分の体が元気になっていくのが嬉しくて、それを見て喜んでくれる人がいることが嬉しくて、料理が好きになったんだ。

 祖母や母が私を喜ばせるために、早く元気なれるようにと、たくさん知恵を絞ってくれたように。私がお祖母ちゃんに喜んでもらいたくって、少しでも食べられるように食べやすいように工夫したみたいに。一緒に美味しいねって笑いあえるのが嬉しくて、この仕事を選んだんだ。  

 

 美味しいは人を幸せにする。

 私の仕事は商品開発部や販売促進部の方とは直接、接することができるのだけれど、工場や現場、経理の方とはお会いする機会がほとんどない。商品開発部や販売促進部の方と一緒に新商品の試行錯誤をしていても形になるまで時間がかかる。工場や経理の方たちからしてたら、毎月、何してるのかわからない人が毎月来るのも不安だろうな、少しでも伝わるといいなくらいの気持ちで書き始めた請求書のウラ書き。

 数年前の私に、そして祖母に、私の原点を今一度思い出させてもらった気がします。